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安重根「爲國獻身軍人本分(위국헌신군인본분)」1910年3月26日死刑執行日

🌋李相烈會長「曠野에 나와 계시는 二代王任」2020.10.09



🌋曠野(あらの)に出ておられる二代王様
(韓国語,11分)
https://youtu.be/Iz77bOJpyho



李相烈會長 
時:2020年10月9日
場:아침 禮拜
所:梁判任師母任宅


私はこの曠野(あらの)に出て来られていた二代王任(イデワンニム・二代王様)に(お会いする為)2013年から事実、来ていました。


2013年はアボニムが聖和された次の年です。その時はここに来たら首を切られる時でした。韓氏オモニから。ここには絶対行ってはいけない。「そこに行った奴らはみんな私が首を切ってやる」。そんな時でした。


その時は私は、(家庭聯合仁川敎區)敎區長(教区長)でした。それで私がここに来た時、その時が11月でしたが、11月に来たら、夜になったら、今でも寒いですね。その時、零下2度、たくさん下がった時は零下3度まで下がるという事でした。


二代王任(イデワンニム)がアボニム聖和二周年を迎えられる為に王妃任(ワンビニム・王妃様)と知鋭(チエ)王妃任と3人で(韓国に)来られました。


それで、王任(ワンニム・王様)御夫妻といっしょに夕食をしたのですが、王任が私に聞かれました。3つの事を聞かれました。3つ。


一番目。「アボニムを誰だと信じているのか?李室長(イーシルチャン)」私に聞かれたのです。私は敎區長でしたが、それは家庭聯合が任命した敎區長ですから、王任(ワンニム)が任命した「室長(シルチャン)」と呼ばれたのです。それで、私が1800家庭であって、私が王任の下(もと)で5年の間、仕事をして来た者じゃないですか。その言葉を言われた時に、「なぜそんな事を言われるのか?」そんな疑問が湧きました。アボニムが誰かも分からないでどうして生活する事が出来るでしょうか。1800家庭の祝福を受けて、本部で王様にお仕えして5年の間、勤務した者なのに、それで、アボニムをメシアと信じたから、この道に来たんじゃないですか?「アボニムをメシアと信じていますよ」。「本当にメシアと信じるのか?」「はい、そうです」。


それで、二回聞かれたのです。これは私(だけ)に聞かれた問いではないのです。すべてのアボニムが祝福して下さったその家庭、一人一人に聞かれた問いだったのです。


二番目。「アボニムが死んだのか、生きているのか?」「当然、生きておられます」。「本当に生きていると信じるのか?」「はい、そうです」。


三番目。「それならアボニムの聖和以後、どのように生きたのか?」その時に私の頭の中で(思った事は)「ああ。これは一般的な問いではないんだなあ」。三番目に私に問われた事が、「だったらアボニム聖和以後にどのように生きて来たのか?」このように聞かれたのです。


その時、韓国の敎區(教区)が22敎區ありました。その中で私が(事業部から)敎區長になって、3年で(22敎區の中で)一等になった者です。考えて見て下さい。私は牧會(牧会)をした事の無い者です。どうして一等になれるでしょうか。しかし、一等になったのです。3年で。


しかし、王任(ワンニム・王様)が問われている事は、別の意味があるなと私が感じたのです。なぜなら、王任が私の事をみんな聞いて知っておられるはずだからです。それでも聞かれたんじゃないですか。私はその時、答弁が出来なかったのです。


しかし、食事をしてから、その3つの質問について話をされず、次の日にアメリカに発たれてしまいました。しかし、これが頭の中から消える事がなかったのです。


そうして3カ月後(2014年秋)にここ(ペンシルベニア)に来ました。私が3カ月後に来ました。今でこそ、民泊もあるし、ホテルもありますが、その時は民泊もホテルも行けるような状況ではありませんでした。だからどこで生活するのかというと、王任が暮らすその家の地下に部屋があります。そこにいるのです。王任の家に。朝、起きたら、王妃任(ワンビニム・王妃様)が食事を作って私に下さるのです。


それでその時、王任がどのように生活されるのか、私が具体的に見るようになったのです。その夜に…軍用毛布があるでしょう?薄い毛布。それを一枚持ってどこに行かれるのかというと、山に行かれるのです。家に(じっとして)おられる事ができなくて。ここで私達がここに来る時も道にこんな熊が私達の前に現れました。だから知っている人もいると思いますが、ここは熊が人に危害を与える事もあります。そして、ここでは野生動物達が人に危害を加える事があるというのです。


しかし、一人行って精誠を捧げられるのです。それは結局、何かと言うと、私の救世主。…だから王任が偉大なのは私が見る時に、アボニムを私の肉身のアボジだ。それ以前に「私の救世主がアボニムであられる」。「救世主」。…それが偉大であられるのです。そして、二番目が私のアボジだ。このように信じておられるのです。だから、私の救世主、私のアボジが、今、その聖体が冷たい所に聖体がおられるのに、私がどうして部屋で楽に寝る事ができるのか。だからその毛布を一つ持たれ、山に行って夜通し。落ち葉の上に、だからテントを張るんじゃないですよ。ただ、上に露(つゆ)や雨に当たらないようにそれだけしてそこにおられるのです。そしてこの曠野(あらの)に来て、どれほどどんな環境で暮らされたのかみんな聞かれたでしょう?


その時、私がそれを見て、どんな思いが出てきたかというと、「ああ、私はアボジと呼んで来たけれども、私は偽り者だったなあ」。こいつは偽り者だったなあ。お前は口(くち)ではアボジだと呼んで来たけれども、私が呼ぶアボジと王任(ワンニム・王様)が呼ぶアボジとはまったく違うアボジだ。だから、「アボニム聖和後にどんなふうに生きて来たのか?」私に聞かれたのでした。その時、たくさん悔い改めました。「こいつは偽り者だったなあ。本物ではなかったなあ」。あの方は真(まこと)であられるのに、こいつは偽り者だったなあ。その時、たくさん悔い改めました。本当にたくさん痛哭(つうこく)する心を持ちました。


韓国に戻る日に王任がこう言われました。「李室長(イーシルチャン)。帰るの?」そこが2階だったのです。2階の手すりをつかんで、このように身をのりだして、「もう一晩(ひとばん)寝て行ったらいいのに」こういうふうに言われるのです。それで私は、「行かなければなりません」と言いました。立ったままこのように見られて、「李室長(イーシルチャン)、行くの?」これが、これが、心を引き裂くのです。


私が帰って来てどれほど申し訳ないかわかりません。「ああ、こいつ!もう一晩居てから帰っていたら良かったのに。なぜここに来たのか。そうだ。私は本当に足らない者だなあ。私は悪い奴だなあ」。私が後悔をたくさんしました。


それで、その次に(ペンシルベニアに)来る時には、私は日程を定めません。「いつ帰るの?」こういうふうに聞かれます。必ず聞かれます。来るたびごとに。「はい。私がこのように日程を立てましたが、王任が言われるままにいたします」。その時から、そのようにしました。


だから、その時、私が本当に感じたのが、「ああ、王任がアボニムを見られるその心と、私達が見るアボジとはこんな差異があるなあ」。


それで、私は帰って来て敎區長としての仕事をするのですが、アボニムがたたくのです。(私の)心を。「やい、この野郎。お前は何をする為にここに来たのか?飯(めし)を請(こ)い食(く)う野郎か?金を儲ける野郎か、職責をもらう者なのか?」そうしていつも私の心をたたくのです。


だから、他の人達は、王任(ワンニム)か國進(クッチン)監査院長が「李室長(イーシルチャン)、来なさい」と言われたから来たと思っています。違います。