📡 聖殿情報

安重根「爲國獻身軍人本分(위국헌신군인본분)」1910年3月26日死刑執行日

♚사토켄會長「偉大한 王과 祭司長, 王妃와 宣敎師」2021.5.9


👑Great king and priest, great queen and evangelist

(日本語,20分)


佐藤顕会長
👑「天一国のキング、クイーンとなれ」


時:2021年5月9日
場:日曜禮拜
所:山口聖殿


●樋口さんは本当に苦労した
 ひぐち


順ちゃんの王様の祈りが素晴らしい内容の祈りをしておられました。順ちゃん、今、58歳ですよ。58歳で60歳の樋口さんと祝福を受けていくようになりました。


3月の中旬ぐらいに順子さんのお母さんの聖和式の後、電話が入ってきて、「樋口さんが病院に運ばれた」ということだったんですね。余命一週間だったんですね。


樋口さんは、統一教会に本当に若くして19歳の時に大学に入ると同時に伝道されて教会に通い始めて、そして大学を卒業するとともに獻身(献身)をし始めました。日本で随分活動した後に、1980年代に入って多くの日本の食口もそうだったんですけれどもアメリカに渡りました。


アメリカに渡ってですねアメリカで水産関係の仕事に従事しながら本当に苦労して純粋に御旨に頑張って行った人です。アメリカの方と祝福を受けて3人の子供、双子のお兄ちゃん達、そして弟という3人の子供をもうけていくんですけれども、その後離婚せざるを得ない状況になって彼は離婚をします。


離婚するだけではなく、子供達の養育費を支払い続けてました。一番最後に養育費の支払い義務が終わったのが、確か今年の1月です。今年の1月までは元の奥さんから養育費をせがまれるような状況があって、自分の子供達を養育したいということでずっと働いてはずっと養育し続けて行った。


そういう風な厳しい中で、どんな仕事したかと言うと水産関係の仕事(トゥルー ワールド レストラン)でしたから、最終的には彼は寿司職人になりました。彼の持ってる重要な財産の中に包丁セットがあります。本当に包丁セットを持ってアメリカで生きてきた。


彼は教会の中のお店で働いていたんですけど、教会の中にいると日本人がたくさんいるのでなかなか英語を覚える機会がないということで、彼は思い切ってですね一般社会の中に入っていって、そしてアメリカで生きる道を自ら開拓してきた。寿司をやったり運送業やったりそんなふうにしながら子供達を育てていくための養育費を送り続けていたんですけれども、最終的には彼は失業状態に追い込まれていってしまいます。特にひどくなったのが去年の1月から完全に失業状態に追い込まれそして、コロナ禍という風な中で、飲食業の中でもいろんな厳しい嵐に巻き込まれてしまいます。


そんな状況の中で、彼はラスベガスに職を探そうと思って行き、「ラスベガスに行けば必ず職がある」と思って行ったんですけども、ラスベガスにも職がなかったという話もしていました。


●山口聖殿のファンになった

△チャンプモニム記念館で讃揚(チャニャン)する山口聖殿讃揚(チャニャン)ティーム


そういう中で、本当に肉体的にも精神的にも経済的にも疲弊しきっていくような状況の中で、もう一回、自分の信仰の原点を尋ね求めてみたいっていうことで、教会関係のいろんなところにインターネットを通じてアクセスをして見て行ったんだそうです。でもどこにも心惹かれるところがなかったらしいんですね。


去年の5月ぐらいじゃないでしょうか、山口聖殿の礼拝に出会ったんですね。この山口聖殿の礼拝がユ-チュ-ブで繋がって中継になってるじゃないですか。いろんな人達が見れるようになっているんですけれども、それを見て、山口聖殿のファンになって、毎週日曜礼拝、今日(きょう)、礼拝行ってますけども、大体アメリカ(東部)時間というと、土曜日の夜の8時前後から見れるようになるんですけども、それを彼を見続けたんですね。


3カ月間、見続けて、「あっ、サンクチャリーに自分も行かないといけない」、「三代王様の為に自分は働きたい」というふうに思って、去年の8月ぐらい、意を決してサンクチュアリの方に連絡をして、そしたらさっきのお祈りをしてくださったリチャード パンザーさんの奥様の美穂さんが取り継いで下さって、「いらっしゃい」ということでアメリカのサンクチュアリに通うようになったのが去年の8月です。


ほどなくして(2020年)10月の鐵杖祝祭があった時に、私達と樋口さんの出会いがあったんですね。鐵杖祝祭の中で会場を歩いていたら、山口聖殿で歌っていた若い子達、誰を見たのかな、おそらくみほとかあゆみちゃんとか見たんじゃないかな、見て、「あれ?あの女の子達が歩いている」と思って、私を探して出会いがあったっていうのが去年の鐵杖祝祭の時でした。


本当に失礼極まりない男でしたけど、最初から私の口癖を、「ベラベラ」と言っては、「がはははは」と笑って、本当にあの失礼な感じの男だったんですけれども、不思議と樋口さんといい交流することができました。


●癌の末期症状ステージ4

そして、その後、彼はトランプ ラリーで一生懸命ドライバーとして活躍するんですね。本当にトランプ ラリーの時にはドライバーとして樋口さんは一生懸命活躍をしていました。しかし、その時には癌が彼の体をどんどん蝕(むしば)むような状態でしたから、「調子悪い」、「調子が悪い」といつも言ってました。


真の父母記念会館で120回敬礼とか一緒にしたこともあるんですけれども、その時にも、私達が10回20回30回40回敬礼して行くんですけども、彼は30回ぐらいまでがせいぜいで、それまでが精一杯で、後(あと)はついていけないっていう状態で、呼吸が荒くなって、1回2回敬礼をするだけでも呼吸が荒いという状況が続いていました。顔見ても顔色が良くないなかったですね、「体調悪いぞ」と、私も何度も声をかけてました。そんな樋口さんでした。


しかし、そんな樋口さんもあの1月のワシントンの集会の時にも行きました。ドライバーとして行くんですけれども、その時、ラリーにも少し彼は参加したんですね。その時、歩きながら、「自分はこのまま死ぬのではないか」というふうなそれくらい厳しい状況を感じていたと言ってました。


ワシントン大会の後今度は日本チームの運転手だったので、「テキサスにすぐ行きなさい」というふうに王様が指示を出されて、そのテキサスへ彼はドライバーの一人として参加して、一台の車をですね2人交代で彼はそのドライバーの運転手として参加するようになります。テキサスへの道は2500キロ、往復5000キロもあるんですね。すごい過酷な道ですけれども、そこもドライブして帰ってくるその頃から生死と隣り合わせみたいな状況があったのではないかなという風に思います。



私が2月にテキサス・アメリカから帰ってくる時も、相当体の調子が悪くて、私は心配しながら(日本に)帰って来たような状況でした。


(2021年)3月、救急車で運ばれて、癌の末期症状ステージ4という状況の中で「もう命がない」という状況の中で、彼はその2日目に、私にライン(メッセージ)を送ってきました。「どなたかと私が生きてる間に、祝福を自分は受けたいんだ」と、「山口聖殿の誰か、自分の意を受け止めて、私と永遠の祝福の場に参加してくれる人はいないだろうか」っていうそういうふうなメールを受けて、そして、皆さんにもそのメールを紹介したと思うんですけれど。その中で順ちゃんが、「私でよければ」というふうに受け止めてくださった。


実は山本順ちゃん、順子さんはこの鐵杖祝祭に(娘の)なっちゃんと一緒に参加しています。歩いてる姿を見て、樋口さんは、パッと見てですね、「自分はこんな人と祝福受けたら…」と順子(さん)を見て思ったんだそうです。そこは不思議なところですよね、鐵杖祝祭に行っている山本親子を見て、樋口さんはそういう風に思ったって言うんですね。「なんかピンと来た」って言うんですね。不思議なことだなという風に思いますけれども。


そして、そのピンと来た人の写真が、彼の余命一週間の3日目ぐらいに送られてきたわけですよ。「祝福受けてもいい」と言って送られてきた写真を見て、びっくりしちゃった。「死んでなんかいられない」。順子の写真を見て、「自分は死んでられない」と。「もう一回生き還りたいものだ」と。「もう1回復活したい」。


●二代王「お前の目は生きた目」

ちょうどその直後に、王様がお見舞いに行ったら、彼の目がキラキラと光ってる。王様は、「お前の命は一週間後に死ぬような目なんかしてない」、「お前の目はまだ生きた目をしている」という風に王様が樋口さんには話したんですね。


目というのはすごいですね。死ぬような目と生きる目とどっか違うんですよ。目だけでよくその人の内面を表すなと思うんですけども、彼は、「もう一回この人と一緒に生きてみたい」という風に思ったらしいですね。「自分は生きよう」と。「自分は生きれる」と。


それまでは、「一週間後には自分は死ぬんだ。聖和するんだ。はい。皆さん、さようなら」っていう雰囲気で、死を決意して整理したらしいです。「分かった。サンクチュアリに来て死ぬんだったらそれで本望だ」くらいに思った瞬間に、私からメールが届いたって言ってましたね。


そういう風にして順子によって再び生かされた。だから、死んだような状態から彼は生き返ったんですね。こういう条件はすごく大きなあと思います。死んだような状況から生き返る。これは役事だなという風に思います。


イエス様も十字架で完全に息が絶えて死ぬんですけれども、神様はイエスも復活させて行きました。そして、イエス様に神様は神様の靈であられる聖靈を施しました。イエス様は聖靈を受けるようになりました。神様の中に内在していた神の靈である聖靈を受けてイエス様は復活して行くんですよ。


これで、この聖靈を受ける事を通して、そこから聖靈の役事、イエス様と聖靈による復活摂理が始まって行くんですよ。基督教会クリスチャンという数多くの人達が生まれるというそういう風な現象になってきました。


イエス様は相對者を受けたわけです。神の靈としての生命を受けて、そして聖靈と一つになったイエス様が靈的な真の父母としての立場に立っていかれて基督教会を建てていったわけですね。


●クリスチャンを感動させた祝福式


死にかかったその樋口さん。完全に死を受け入れ死を覚悟し死を決意したそういうふうな樋口さんに順子さんという女性が相對者として与えられた。そこから樋口さん自身の復活にもなる、それから順子さん自身の復活になる。それを通して、王様は、「天一国のキング、それからクイーンとなって、そして祭司長となって数多くの人達を生かしていく」そういう風な役事をこの二人が出発していくようにという祝禱の祈りを捧げて下さいましたけれども、その人達が証しになりながら数多くのアメリカの人達、あるいは日本の人達、全世界の人達を復活し生かして聖なる役事を、これからこの樋口さん達夫妻が心を合わせて一つになって新しい傳道(伝道)の攝理、あるいは聖靈の役事、そういう風な事を成して行くそういう風な力に大きな力になっていくに違いないと思うわけです。


一般のクリスチャンの人がその場に来ていたらしいんですけれども、最近はアメリカはたくさんいろんな人は来るんだそうです、礼拝に。いろんな人達がたくさん来る、教会員だけの礼拝ではなくなっていて、いろんな人達がたくさん来るようになった。初めて来た人がその祝福式のその場を見て感動して、あるクリスチャンの女性の方が、「私にお祈りをさせて欲しい」と言って、彼らは二人の為に祈る場面があったと言われています。祈っていかれたクリスチャンの人も感動したに違いありません。


私達が語ることを通して、伝えることを通して、この言靈(ことだま)の光を発する事を通して、数多くの人達が靈的に突き動されながら王様の元(もと)に集う者達が出てくるに違いないと思うわけです。本当に彷徨(さまよ)っていた樋口さんがそうであったように、原理を伝える私達が、今こそ王様と一つになって勇気を持って大きな靈的なパワーを持って御言葉を伝える事が出来るそういう者達として成長して行かなければいけないと心から思う次第です。


初めて教会を訪れたクリスチャン女性から祈禱を受ける樋口夫妻


  


山口聖殿ウェブサイトより抜粋