📡 聖殿情報

安重根「爲國獻身軍人本分(위국헌신군인본분)」1910年3月26日死刑執行日

🍞梁判任(양판임)師母任祈禱「良心의 糧食」2021年12月2日

테네시의 아침


🥗Food for conscience

(韓國語, 7分半)


時:2021年12月2日木曜日
場:傳統韓國語訓讀會
所:참父母任記念館


🤴🏻ティム エルダー本部長:


兪老淑勸士(ユノスククォンサ)が聖經(ソンギョン)リマを読みます。


👸🏻兪老淑勸士:


聖經(ソンギョン)リマ、新約聖書マテ福音5章3節から奉讀(奉読)します。イエスニムが山上垂訓(산상수훈・さんじょうすいくん)の中で、8種の福についてお話しされたようです。


マテ福音5章3節。(韓國語聖經の翻訳)


心靈の貧しい者は福があるから天国は彼らのものであり、哀痛(애통・あいつう)する者は福があるから、彼らは慰勞を受けるであろうし、溫柔(온유・おんじゅう)な者は福があるから、彼らが土地を嗣業(기업・しぎょう)として受け取るのです。


義に飢え喉が渇いた者は福があるから、彼らは腹を満たし、慈悲深い人は福があるので、彼らは慈悲を受けるでしょうし、心が純潔な人は福があるので、彼らはハナニムを見るでしょうし、和平にする人は福があるので、彼らは神の子女だと呼ばれるでしょう。


9章9節まで奉讀しました。感謝します。


🤴🏻ティム エルダー本部長:


今日(きょう)の祈禱は梁判任(ヤンパンニム)師母任(サモニム)がされますか?


👸梁判任師母任:


感謝하고 感謝하신 나의 하나님 아버지。今日(きょう)のあなたの水澤里(ステンニ)のマルスムで、私どもが永遠に生きる事の出来る良心の糧食を下さった事に感謝をお捧げします。


アボジ ハナニム。句句節節を知りながらも行(おこな)えない事があるならば、私どもはそれを知らないという事でございます。私どもが追憶のようなマルスムを受け入れ行(おこな)う事がマルスムを知る者の姿であり、それを悟れないで生活しているのではないかと考える時、私どもは真正なアボニムの貴いマルスムにより真の道を歩み年老いて、靈界(霊界)を望みながら行っているこの時において、本当に一日一日をマルスムで實踐(実践)し、アボジのマルスムを食べて暮らすべき私どもでございます。今日(きょう)もアボジのマルスム一つ一つの内容がどうしてでも句句節節が實踐するしかない事実を悟り、又、悟ったのでございます。


アボジ、感謝、感謝をお捧げします。私どものすべてを捨ててあなたと共に成す事が出来る道を必ず選びますので、3年傳道(伝道)に出て行く時も愛する夫と子供を後にして、アボジのマルスムに従った私どもでございます。


三年傳道:1970年12月から韓国における全祝福家庭夫人による三年間開拓伝道


今日もこのようにアボニムの貴いマルスムを下さったので、一つも地に落とす事がないよう實踐躬行(じっせんきゅうこう)する事が出来る私どもの生(せい)になれるよう許諾して下さいますよう懇切に懇切に望むものでございます。

實踐躬行(실천궁행):
實際로 몸소 行함
acting up to one's principles
実際に体で行う


全世界でこの時間にアボジのマルスムで再び生まれ変わろうと參席したあなたの愛する息子・娘達をさらに記憶して下さり、私どもの使命と私どものすべての行動一つ一つを正しくして生きる時、天国は私の前に有り、天国は必ずやこの地に成されるという事実をさらにより實感(実感)させて下さる事を許諾して下さり、實踐躬行する事の出来る今日(きょう)になる事が出来ますよう許諾して下さる事だけを懇切に懇切に望むものでございます。


いつもアボニムの前では「私」を無くすべきであり、いつも愛する兄弟達の前では「私」は低くなるべきであるという事実を、銘心(めいしん)、又、銘心して實踐(実践)出来るように許諾して下さる事を懇切に懇切に望み願うものでございます。


今日も(テネシー)清平(チョンピョン)では、アボジの攝理を起こそうとウリ二代王任(イデワンニム)御夫妻と、そこで精誠を捧げる食口任(シックニム)達は体も心もすべて捧げて「必ずや御旨を成すんだ」と、「アボニムにお侍りしよう」と、そのような使命感と心で、この寒い冬に戦っておりますので、その方に驚く祝福と恩恵が充満されますように許諾して下さいますように、アボジのマルスムと考えと一つとなり、そこに天国を成せる基盤を造るに不足が無いよう霊肉の健康を許諾して下さいますように懇切に懇切に望み願うものでございます。(「アボジ」)


アボジ。そこにすべての思いは通じて行っているのですが、行く事の出来ない立場に立っている事を限り無く申し訳無く思い、ひれ伏して祈禱しているのでございます。


アボジ。そこにこの世のすべての運勢が、悪い運勢では無く、強いハナニムの運勢で力を加え実が成り花が咲き、世界の頂上に立ってアボニムのマルスムで陣頭指揮する事の出来るアボジの王任(ワンニム)と三代王權になり、勝利したあなたの愛する息子國進(クッチン)監査院長様の家庭となり、アボジ。二つの家庭が一つにならずしては世界が成されずハナニムの恨(ハン)が解かれる事も無く、墮落して哀れに生きて逝ったすべての靈人達と、ここでこの世で飢えて死んでいるすべての人間達はアボジに抱(いだ)かれずしては、帰って行く道の無い事を私どもは知っているので、すべての物を地に置いてアボジの御旨だけを成す望みだけを持って行く私どもでありますから、御旨と心を一つにして、アボニムの御旨を成し勝利し、世界がアボニムの望み願う天国を成す事の出来る基盤を造る事の出来る私どもとなれるよう許諾して下さる事に感謝、感謝を捧げ、いつでも自従(じじゅう)し、いつでも下を見て、いつでもアボジの心情をまず考える事の出来る私どもとなり、今、いくらも残っていない生きる生涯をハナニムと共に、ハナニムの心情を相續(相続)受けて永遠にアボニムの前に行く事の出来るよう私どもの心を変えて下さる事を許諾して下さいますように。


今日もそのマルスムを中心として、勝利するあなたの真なる息子娘達になる事が出来るよう許諾して下さる事を懇切に懇切に望み願いながら、この世界において精誠を捧げているすべての食口達、兄弟達の心を一つに束ねて天の前に不足なこの娘が報告お捧げいたします。我主(アージュ)。


🎵聖歌13番「盟誓(メンセ)」:


…勝利の日が来るまで御旨だけの為に戦います。


  


📝參考


📖眞福八端(진복팔단)=참幸福


참幸福(beatitudes, beatitudines)은 基督敎에서, 예수 그리스도가 山上 說敎에서 한 幸福 宣言의 내용을 이르는 말로, 마태복음의 山上垂訓(산상수훈)에 등장한다. 여덟 가지 幸福이라는 뜻으로 眞福八端(진복팔단)이라고도 부른다. 누가福音에도 등장한다.


至福の教え(しふくのおしえ、英語: The Beatitudes)はイエス・キリストが「山上の教え」の冒頭で、真の幸福とは何かを語ったもの。「至福の教え」は「マタイによる福音書」の「山上の垂訓(すいくん)」の冒頭にある。マタイによる福音書5章3節から10節までに八つの項目があるので、「八福の教え」といったり、カトリックでは「真福八端」(しんぷくはったん)と呼ばれる。日本正教会では11節も入れて「真福九端」


The Beatitudes are sayings attributed to Jesus, and in particular eight blessings recounted by Jesus in the Sermon on the Mount in the Gospel of Matthew, and four in the Sermon on the Plain in the Gospel of Luke, followed by four woes which mirror the blessings.



📜アボニムの伝統訓読会…全世界と共にする事が大変重要