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安重根「爲國獻身軍人本分(위국헌신군인본분)」1910年3月26日死刑執行日

🌄劉正玉會長「天基元年宣布」2020年10月


🌄劉正玉會長「天基元年宣布」2020年10月

(日本語5分半)


時:2020年10月
場:原理本體論修錬會
所:ニューファンドランド本部


●天基元年宣布


「祈禱」の次は、「天基元年宣布」。「天基元年」というのはアダム・ヘワの墮落以後6千年歴史をすべて否定するのです。ハナニムの出発線が天基元年から始まります。


天基元年が始まりますが、家庭聯合では「天一國」を始めています。「天一國何年」というのです。「天一國8年」と言っていると思います。(2020年)「天基12年」が確かです。


こういう内容も私達が分からないから問題になるのです。価値観が統一されてないからです。アボジが下さったマルスムを聴く人達が、家庭聯合ではこう見て、聖殿ではこう見て、UCIではこう見て、違って来るのです。価値観が違うのでそうなるのです。価値観をどうやって統一させるのか。その統一はアボジのマルスムの中で統一がされるのです。人によってではありません。アボジのマルスムを持って一つとならないといけないのです。


「天基元年」の次は、「天暦」も変わって来ます。イエスニムが来られた事によって、紀元前と紀元後に変わったじゃないですか。それでアボニムは天暦を立てられたのです。2010年に。陽暦と陰暦は西洋と東洋を中心として今まで守って来たのですが、これは今から天暦を補助する為の歴史の資料にしかならないと言われました。それでアボニムは「天基」を使われ、「天暦」を使われるのです。


●蕩減復帰攝理を完了


こういうすべての事をして蕩減復帰攝理を完成・完結・完了しなければなりません。そうして墮落人間の原罪を清算して、その父母任(プモニム)から祝福結婚を受けてチャム家庭(カジョン)を実現するようにと教えられたのですが、私達が祝福を受けてどんな人となるべきか。アボジが願われる祝福家庭は本然の祝福家庭を願われるのです。


本然の完成をして祝福を受けた人は一人もいません。それでアボニムが條件を立てて教えて下さったのです。祝福を受ける時、約束をしたじゃないですか。盟誓(メンセ)をしたじゃないですか。息子・娘をどのように育てるのか。夫婦はどのように生きるべきか。そして、子女を中心として何をするべきなのか。父母任(プモニム)のように世界人類を愛しますか?こういう内容を約束したのです。その約束を私達は守るべきです。(約束を守るという)その位置に私達を立たせて置いて、祝福をして下さったのです。


私達は祝福を受けたらそれで終わりだと思っています。ある人は隠れて自分達だけで暮らしています。それで天國に行こうと。違います。だから、無知には完成が無いと言います。知らなければならないのです。


それで、祝福結婚をしたら、チャム家庭(カジョン)を実現しないといけないのですが、チャム家庭(カジョン)は誰かが作ってくれるものではないのです。夫婦がアボジのマルスムを持って、マルスムの通りに生きなければなりません。


しかし、夫婦が暮らしていくのに、一番難しい事は何か分かりますか?子女教育するのが難しいのです。それよりももっと難しいのが何か分かりますか?夫婦ですよ、夫婦。夫が夫人を教育するのがどれほど難しいか分かりません。初めは仲良く暮らすのです。分からないから。新郎の思いに従って。しかし、子供を一人、二人産んだら、その次には(夫の)言葉を聞きません。相当に深刻になるというのです。


さあ、だからこういう内容をどうするのかという事です。誰が教育をしますか。自己が教育出来ないのです。自己が自己の家庭の息子・娘を父母が教育出来ないのです。それは誰がするべきか。アボジがされないといけないのです。それでアボジがこの地に来られて真なる父母、真なる師匠、真なる主人、これが三大主体思想です。アボジは真なる父母。ハナニムの心を持たれたその心情世界を教えて下さるのです。


●心情のハナニムを教えるアボニム


ですから、今、多くの人は「ハナニムがいる」とか「いない」とか言っていますが、アボニムは「いる」と言われるのです。そのハナニムは居られるのに、そのハナニムはどういう方なのか。「心情のハナニム」だと言われるのです。そのように「心情のハナニムである」と結論付ける方(かた)はアボニムしか居られません。ハナニムについてそのように教えて下さるのです。


従って今日(こんにち)私達もアボニムが教えて下さっている通り、私がハナニムに似るようになるには心情の實體(実体)になるべきです。心情の(ある)人とはどういう人ですか。對象(対象)を愛しながら喜ぼうとする抑制する事のできない情の衝動心です。(私でない)誰かによって成されるものではありません。それだから、喜びながら榮光をお返しし、讃揚(チャニャン)したい、その思いが自己の心情から湧き出なければならないのです。ハナニムに侍る事も心情の中から湧き出ないといけないのです。そうでなければ乾いてしまうです。


私達は多くのマルスムを聞いて頭では良く知っています。頭で良く知っているから信仰が良いと言うのです。しかし、心情世界ではそうなっていないというのです。心情世界は一つです。しかし、その心情を私達がどのようにアボジのように似た心を持って生きるのか。(むずかしいのです)。そういう教育をしなければ、ご飯を食べて年を取っても信仰は成長するものではないのです。心情の級が高くならないといけないのです。